最高裁判所第二小法廷 昭和54年(オ)1181号 判決 1980年7月18日
上告人
岡野鉉吉
右訴訟代理人
伊藤静男
外二名
被上告人
日本国有鉄道
右代表者総裁
髙木文雄
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人伊藤静男、同吉田允、同飯田泰啓の上告理由第一点について
所論の点に関する原審の判断は、その説示に照らし正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同第二点について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、所論の営業規則二八九条二項が日本国有鉄道の職員のいわゆる遵法闘争による列車の延着の場合にも適用されるとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(栗本一夫 木下忠良 塚本重頼 鹽野宜慶 宮崎梧一)
上告代理人伊藤静男、同吉田允、同飯田泰啓の上告理由
第一点 原判決には理由不備並に理由ソゴ(民訴法第三九五条一項六号)の違法がある。
一、理由不備、判断遺脱、
(一) 原審は、判決の事実摘示に於て、上告人(控訴人)の主張事実として、「本件急行列車は速い普通列車と同程度の時間を要して運行されており、急行列車としての用をなしていないうえ、遅延の原因が、被控訴人側の従業員の故意行為によつているなどの事情にあるのであつて、法秩序全体の精神、社会通念、正義公平の原則に照らして、本件急行料金二〇〇円の支払を拒むのは不当である。」と記載されながら、判決理由中この主張事実に対する判断がなされていない。従つてこの点に於て判断遺脱、理由不備のソシリを免れないのみならず、抑々、右の事実摘示自体に遺脱がある。
即ち、この点に就て、控訴人(上告人)は原審で次のように主張しているのである。
「本件急行列車は、控訴人が乗車した駒ケ根駅から終着駅の豊橋駅に到着するのに本来ならば、三時間五二分で到着するところ四時間四七分を要しているが、他面急行でない普通列車でも速いのは右の間を五時間九分で到着するのであり、その差は僅が二二分にすぎないのである。即ち、本来ならば急行列車と普通列車との所要時間の差は七七分即ち一時間一七分なければならない。この一時間一七分早く到着し得るところに急行としての意味があり、この一時間一七分早く到着し得ることに対する対価が本件の二〇〇円の急行料金であり、控訴人はその意味での対価として二〇〇円を支払つているのである。それであるのに、本件では僅かに二二分早く到着したのみである。従つて、本件の場合に於ては急行列車としての債務は履行されなかつたと認定するのが、条理上将又正義公平の観念上相当であると言わねばならない。されば、本件の場合に於て、被控訴人が二〇〇円の急行料金を返還しないのは、不当利得であり、正義公平の観念上、法秩序全体の精神に照し社会観念上是認されることのできない態様のものである。」
斯様に上告人は、原審で、本件具体的事案の場合、急行料金を返還しないのは、条理上将又正義公平の観念、社会通念、法秩序全体の精神、に照し是認されない旨強張しているのであるが、この点に関する原審の事実摘示並に判断には、遺脱、不備の違法がある。
(二) 上告人は原審で、本件営業規則二八九条二項の規定が、履行補助者の故意による遅延の場合をも含ましめる趣旨とするならば、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律二条一九条が「自己の取引上の地位が、相手方に優越していることを利用して正常な商慣習に照らして相手方に不当に不利益な条件で取引をすること」を禁止している趣旨に照らし、その部分について無効とすべきである旨主張しているが、この点に対する原審の判決には理由不備がある。
(三) 上告人は、元来、営業規則二八九条二項はストライキ約款の趣旨を含むものではない旨主張したのに対し、合理的解釈として右規則にストライキ約款の趣旨をも含むことを導き得るとされているが、そのストライキが違法なストライキを含む趣旨であることに就ては十分な理由の説明示がなされていない。
二、理由ソゴ、
原審は、判決理由中控訴人の主張1について「列車遅延の原因が、仮に履行補助者の故意によつて生じた場合であつても、公序良俗違反もしくは信義則違背等により具体的事案によつて無効とされる場合を除き、一般的には同規定の適用が排除されるべきものでないと解するを相当とする。」と判示されている。この解釈に従えば、具体的事案により、公序良俗違反もしくは信義則違背を認められ無効とされる場合のありうることを認めておられる。
然るに、主張3についての項では、「違法な争議行為による列車の延着が、被控訴人の履行補助者の故意による列車の遅延に該当するとしたうえで、この場合においても規則二八九条二項が適用されるとすることは何ら不合理ではないし、かつ公序良俗に反するものでないことは原判決説示のとおりである。そうである以上これが信義則に違背するいわれはないのみならず……」と判示されているが、この説示は明らかに前述の理由説示と矛盾、ソゴしている。即ち、前述説示では、公序良俗違反もしくは信義則違背と認められる場合には、規則の適用を排除すべき旨説示されているので、公序良俗違背と信義則違背の場合とは夫々別の観点から判断されねばならぬことは論理上明白である。然るに、右3についての説示では、先づ最初に規則を適用することに不合理でなく公序良俗違背でもない……そうである以上これが信義則に違背するいわれはないとされているが、前記の説示からすれば、本件具体的事案の場合において先ず、それが信義則に違背しないか否かを判断した上で、規則の適用の有効性へと論を進めるべきである。
従つて、原審判決のこの点の説示は、理由ソゴがあると言わねばならない。
第二点 原判決には国鉄の営業規則二八九条二項並に条理の解釈を誤つた違法がある。
国鉄の営業規則二八九条二項が、国鉄従業員のストライキの場合をも予定して制定せられたものでないことは、被上告人国鉄側もこれを認めるところであるところ、原審は、右規則はそれをも含ましむる趣旨に解すべきであると判示されたが、これは明に右規定の趣旨、目的の範囲を逸脱し、民主主義(国民の同意)の原理に悖るもので解釈に誤りがある。
即ち、民法一条は、個人の社会生活関係に於て、信義則の必要を強張し、権利の濫用を許さないと規定し、商人間の取引に信義誠実の原則が適用されることは当然であるが、独禁法も独占的事業の横暴を取締る趣旨で制定せられている。
翻つて、取引相手方の従業員の故意による債務の不履行を免責事由とすることは、前記各法律の制定、趣旨、目的精神からしても極めて重大なことであるので斯る場合には事前に一般的承諾、即ち国民の代表機関による承認を得て特則を設けるとか、或いは、具体的事案の発生した場合に個々的に承諾を得る(即ち、切符を売る際に遅延承諾のスタンプを押して発売する――現在国鉄はこれを施行している)のが適法であると言わねばならない。
そしてそれが民主主義(国民の同意)の原理にかない法律の精神に則つたものと言うべきである。斯る手続きを経ずして、前記規定を原審の如く解釈によつて解決せんとするのは著しく解釈の範囲、限界を逸脱したものと言わねばならない。
従つて、ストライキによる遅延の場合をも含むという一般的免責約款若しくは、具体的事案の場合における個々的事前承諾を得ていない本事案に於て、被上告人は自社の従業員の故意行為で二時間近く遅延することは予め予知、認識されていたのであるから、その点の了解を得ることなく上告人から急行料金をとり、これを返還しないのは、正に信義誠実の原則に悖り、条理に違背する行為である。
概要以上の次第で、前記の点に於て、原審判決には、規則の解釈並に条理の解釈を誤つた違法がある。